今朝方驚くニュースが飛び込んできました。本日、2019年10月31日午前2時50分ごろ、那覇市の首里城で「正殿で火災が起きている。黒煙が上がっている」と警備会社から119番。今はライトアップなどを行っている世界遺産・首里城。火災の原因など、分かっている情報を調べてみました。
沖縄のシンボル 世界遺産・首里城で火災!! 正殿など、6棟が焼失
首里城とは
わざわざ説明するまでもない事かもしれませんが、ご存じでない方のためにWikipediaから引用させてもらいます。
首里城(しゅりじょう、スイグスク)は、沖縄県那覇市首里金城町にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあったグスク(御城)の城趾である。現在は国営沖縄記念公園の首里城地区(通称・首里城公園)として都市公園となっており、一般財団法人沖縄美ら島財団が管理を行っている。
琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城であった。戦前は正殿などが旧国宝に指定されていたが、1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている。1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年(平成4年)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。1993年(平成5年)に放送されたNHK大河ドラマ「琉球の風」の舞台になった。1999年(平成11年)には都市景観100選を受賞。その後2000年(平成12年)12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではない。
周辺には同じく世界遺産に登録された玉陵、園比屋武御嶽石門のほか、第二尚氏の菩提寺である円覚寺(えんかくじ)跡、国学孔子廟跡、舟遊びの行われた池である龍潭、弁財天堂(べざいてんどう、天女橋)などの文化財がある。
引用:Wikipedia
世界遺産のイメージが強い首里城ですが、正確に言うと復元された部分は世界遺産には登録されていません。琉球王国のシンボルとして存在してきた首里城。実際に見れば分かりますが、あの色合いと佇まいは他の観光地とは異なります。沖縄へ行ったら、ぜひ一度は見て欲しい場所でもあります。
火災の状況・原因
正殿などが激しい炎を上げて燃え、消防車両が10台以上出動して消火に当たったようですが、首里城の正殿と北殿、南殿がいずれも全焼したとのこと。全て木造だったので燃えやすかったのでしょう。近接する「奉神門」や「書院・鎖之間」も延焼したそうです。
幸いだったのは、けが人の情報がないことです。深夜だったのでお客さんなどがいなかったのがせめてもの救いかもしれません。ただ、火災による火の粉が広範囲に舞っているとして、31日午前4時すぎから防災無線で住宅への飛び火に警戒するよう呼び掛けたそうです。周囲にお住いの方もかなり大変だったと思います。
現在(※2019年10月31日午前9時半現在)のところ火災の原因は分かっていませんが、出火元は正殿らしいとのこと。一部の情報としては、27日から始まっている「首里城祭」のイベントの準備のため、30日の遅い時間まで作業をしていたという情報もあるようです。ただし、これが火災の原因となったのかどうかは全く分からず、原因については今後の検証を待つばかりです。
まとめ
私は5日前に沖縄旅行から帰ってきたばかりです。今回は時間の関係で首里城へは行けませんでしたが、以前行った事があります。その荘厳さに圧倒されたのを覚えています。今さらですが、今回行っておくべきだったと後悔しています。
私のようなよそ者ですら今回の火災には大きなショックを受けています。地元の方や首里城を愛する人たちの悲しみはとても推し量ることもできないでしょう。長い年月と費用をかけて復元し、今なお工事が続いていた首里城。今回の火災を受けて今後どうなるのかとても心配です。
今はまだ詳しいことが分かっていないので今後どうなるかなど全く分かりません。しかし過去にも破壊され、それでも復元してきた経緯があります。時間はかかるとは思いますが、またあの圧倒的な首里城を復元して欲しいと思います。琉球王国のシンボルでもある首里城。歴史を語るうえでその存在は必要不可欠だと思います。
今後復元に向けてきっと寄付金を募ると思うので、ぜひ皆さんも少しでもいいので協力していただければと思います。もちろん私も寄付をします。いつの日かまた首里城を見たいと心の底から思います。
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