10月21日にはどんな記念日があり、B’zにはどんなことがあったのかをまとめてみました。日本や世界、B’zには過去に色々なことがあり、記念日になっている日があります。今日という日にどんな意味があるのか、たまには歴史を振り返りその時代に思いをはせてみませんか?
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【今日は何の日】 10月21日は何の日? その時B’zは?
B’z
B’z LIVE-GYM ’94 “The 9th Blues”〈PART 2〉 大宮ソニックシティ 2日目
1994年10月21日(金)、B’z LIVE-GYM ’94 “The 9th Blues”〈PART 2〉ツアーの大宮ソニックシティ公演 2日目が開催されました。以下がその時のセトリになります。
- Don’t Leave Me
- おでかけしましょ
- LOVE IS DEAD
- 破れぬ夢をひきずって
- Queen Of Madrid
- 裸足の女神
- SAVE ME!?
- LITTLE WING(松本ソロ)
- TIME
- もうかりまっか
- BAD COMMUNICATION(Acoustic version)
- 赤い河
- Sweet Lil’ Devil~Include GIMME YOUR LOVE
- ZERO
- WILD ROAD
- JAP THE RIPPER
-アンコール- - RUN
- farewell song
B’z LIVE-GYM 2003 “BANZAI IN NORTH AMERICA” Showbox (シアトル)
2003年10月21日(火)、B’z LIVE-GYM 2003 “BANZAI IN NORTH AMERICA”ツアーのShowbox公演が開催されました。以下がその時のセトリになります。
- アラクレ
- BLOWIN’
- 野性のENERGY
- WAKE UP, RIGHT NOW
- MOTEL
- 太陽のKomachi Angel
- LOVE IS DEAD
- 今夜月の見える丘に
- Brotherhood
- Easy Come,Easy Go!
- love me,I love you
- F・E・A・R
- ZERO
- juice
- ultra soul
- IT’S SHOWTIME!!
-アンコール- - 儚いダイヤモンド
- ギリギリchop
B’z LIVE-GYM 2012 -Into Free- EXTRA セキスイハイムスーパーアリーナ
2012年10月21日(日)、B’z LIVE-GYM 2012 -Into Free- EXTRAツアーのセキスイハイムスーパーアリーナ公演が開催されました。以下がその時のセトリになります。
- Love Bomb(愛のバクダン 英語バージョン)
- GO FOR IT, BABY -キオクの山脈-
- ultra soul(英語バージョン)
- Splash(英語バージョン)
- Brighter Day
- Easy Come, Easy Go!
- MOTEL
- もう一度キスしたかった
- 愛しい人よ Good Night…
- ZERO
- ミエナイチカラ ~INVISIBLE ONE~
- ねがい
- Into Free -Dangan-
- juice(英語バージョン)
- IT’S SHOWTIME!!
- 衝動
-アンコール- - Home(英語バージョン)
- HEAT
- BLOWIN’
1stミニ・アルバム「BAD COMMUNICATION」 リリース
1989年10月21日(土)、B’zの最初のミニ・アルバム「BAD COMMUNICATION」がリリースされました。当時はキャッチフレーズがあり、このミニ・アルバムのキャッチフレーズは「エンドレスで、かまわない。止めるまで、DANCE空間。DANCE ORIENTED SPECIAL」でした。いま改めて見てみると、ちょっと長いですよね(;^ω^)
当時はまだカセットテープがあり、同時発売されたカセットテープ版には、表題曲「BAD COMMUNICATION」のオリジナル・カラオケが収録されています。また、発売時に同時に製作されたプロモーション用7インチシングル(レコード)には、日本語ショートバージョンと英語ショートバージョン、また12インチシングル(レコード)には英語ロングバージョンと、インストゥルメンタル(オリジナルカラオケ)が収録されています。当時は色々と選択肢があったんですねぇ~。
ちなみに12インチシングルのレーベルには「Words&music:B’z」と記載されており、ジャケット裏面に書かれているスタッフの表記は全て外国人(要はデタラメ)となっています。
B’zはこのミニ・アルバムの発売と同時に積極的なプロモーション活動をスタートし、ブレイクのきっかけとなりました。しかし収録曲は3曲とも7分を超えていることや、メンバーにとって遊び心や実験的な試みとしてリリースしたものであったため、松本さんはヒットするとは全く思っていなかったそうです。本作は1枚目、2枚目のアルバムがヒットしなかったため、3枚目のアルバムで勝負をかけるための布石だったと語っています。
稲葉さんもヒットしたことについて当時は理解出来なかったそうです。つまりお二人とも全く予想だにしていなかったって事ですね。狙って作ったアルバムはヒットせず、自由に作ったミニ・アルバムがヒットするという。。。えてして人生ってそんなものかもしれません。
オリコンアルバムチャートでは初登場15位、最高位12位(1991年1月28日付)であり、100位以内に163週(1989年10月30日付〜1993年9月20日付。その期間中、9回にわたって100位圏外へ落ちている)チャートインしています。これってめっちゃ凄いことです!! こんなに長い期間チャートインしてるということは、それだけコンスタントに新規のお客さんから注目を浴び続けていたというようなことですからね。B’zが売れ始めて一気に昇り詰めていったのがこの時期だったんでしょう。
1992年3月9日付でオリコンでの累計100万枚突破を達成しています。ちなみにオリコンアルバムチャートにおいて10位以内に一度も入らずにミリオンヒットを達成した作品は、本作と『Kind of Love』(Mr.Children)のみという珍しい記録も達成しています。
もう一つ面白いのは、本作と『FRIENDS II』までの1990年代にミニアルバムとして発売された作品は、全てミリオンセラーとなっている点です。フルアルバムではなくミニ・アルバムもこれだけ売れているのは凄いですよね。。。
収録曲
- BAD COMMUNICATION (7:26)
- 本アルバムの表題曲であるロック・ダンスビート曲で、様々な音をサンプリングしている。
- 楽曲タイトルについて稲葉は、「半端じゃない、生半可じゃないコミュニケーションと言う意味で使いたかった。」と語り、詞の内容については「歌詞はありがたくない表現で書いている。それを聞いて反対に『あぁ、やっぱりコミュニケーションって必要なんだ』と思ってくれると嬉しい。」と語っている。
- 富士通「FM TOWNS」CMソングのタイアップがついた経緯として、本作をレコーディングしているスタジオの隣で偶然宮沢りえ出演のCM曲の制作をしており、上手く曲が出来ないところに松本が呼ばれ、「松本達の新曲を持って来てくれ」と言われて何となく提出したのが採用のきっかけだった。松本は「運がよかった」と当時を振り返っている。また、この曲がきっかけでフジテレビ系の音楽番組『夜のヒットスタジオ』に出演し、これがB’zとしてのテレビ番組初出演となった。なお、有線では最初に英語版の方が注目され、間違って洋楽チャートに載ってしまい、B’zはその曲をカバーしているグループと勘違いされていた。
- また、この曲のギターリフはレッド・ツェッペリンの「トランプルド・アンダーフット」と酷似しているため盗作との指摘があり、その酷似性と知名度からB’zの盗作疑惑において代表的な存在とされている。
- ライブでは多く演奏されているが、その際は原曲とは大幅に異なるハードロック風にアレンジされている。
- OUT OF THE RAIN -OFF THE LOCK STYLE- (7:41)
- 1stアルバム『B’z』に収録されている「君を今抱きたい」の全英詞アレンジ違い。演奏時間は7分41秒で、現時点でのB’zの全曲中、最も長い曲。
- DA・KA・RA・SO・NO・TE・O・HA・NA・SHI・TE -OFF THE LOCK STYLE- (7:14)
- 1stシングル「だからその手を離して」の全英詞アレンジ違い。前曲とは異なり、「だからその手を離して」という言葉が歌詞やタイトルにそのまま使われている。
- BAD COMMUNICATION オリジナルカラオケ ※カセットテープ版にのみ収録
- 表題曲のカラオケ・トラック。なお、B’zは基本的に『B’z TV Style SONGLESS VERSION』と『B’z TV STYLE II Songless Version』以外では、「love me, I love you」までのシングル・カセットテープでしかカラオケバージョンは収録されていない。
引用:Wikipedia
☆B’zディスコグラフィー:アルバム
日本
あかりの日
日本電気協会・日本電球工業会等が1981年(昭和56年)に制定。
1879年(明治12年)10月21日、エジソンが日本・京都産の竹を使って白熱電球を完成させました。
このことにちなみ、あかりのありがたみを認識する日とされています。
国際反戦デー
1966年(昭和41年)10月21日、日本労働組合総評議会(総評)がアメリカ軍のベトナム戦争介入に反対する全国政治ストライキを計画し、同時に全世界の労働団体・反戦団体に呼びかけ、この日が反戦の日になりました。
フランスの哲学者、ジャン・ポール・サルトル氏が「世界の労働組合で初めてのベトナム反戦スト」と総評を讃えています。
「国際」と付いていますが、日本だけの記念日です。
直哉忌
小説家・志賀直哉の1971年(昭和46年)の忌日。
明日は何の日でしょうかねぇ~♪ それではまた明日お会いしましょう☆
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