【今日は何の日】 1月25日は何の日? その時B’zは?

今日は何の日シリーズ

1月25日にはどんな記念日があり、B’zにはどんなことがあったのかをまとめてみました。日本や世界、B’zには過去に色々なことがあり、記念日になっている日があります。今日という日にどんな意味があるのか、たまには歴史を振り返りその時代に思いをはせてみませんか?

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【今日は何の日】 1月25日は何の日? その時B’zは?

 

B’z

 

B’z LIVE-GYM ’91〜’92″IN THE LIFE” 広島厚生年金会館 1日目

 

1992年1月25日(土)、B’z LIVE-GYM ’91〜’92″IN THE LIFE”ツアーの広島厚生年金会館公演 1日目が開催されました。以下がその時のセトリになります。ただ、当時のセトリは日によって替わった曲も多く、また正確な情報が見つからなかったので参考程度にしてください。

  1. Wonderful Opportunity 
  2. Crazy Rendezvous
  3. 孤独のRunaway
  4. LADY NAVIGATION
  5. BE THERE
  6. GODFATHER(松本ソロ)
  7. TONIGHT (Is The Night)
  8. もう一度キスしたかった
  9. WILD LIFE 
  10. GIMME YOUR LOVE~不屈のLOVE DRIVER~ 
  11. NEVER LET YOU GO 
  12. ’88~Love Story or Wanna Go Home(松本ソロ)
  13. あいかわらずなボクら
  14. Easy Come, Easy Go!
  15. 『快楽の部屋』
  16. GO-GO-GIRLS
  17. BAD COMMUNICATION
  18. ALONE
    -アンコール-
  19. 憂いのGYPSY or Sweet Child O’Mine or Knockin’ On Heaven’s Door

 

☆「B’z LIVE-GYM ’91-’92 “IN THE LIFE”」:公演スケジュール
☆B’zアルバム「IN THE LIFE」収録曲&タイアップはこちら

 

B’z SHOWCASE 2008 “清武ACTION” 清武町文化会館(宮崎県)

 

2008年1月25日(金)、B’z SHOWCASE 2008 “清武ACTION”が、宮崎県の清武町文化会館にて1日限りで開催されました。以下、その時のセトリになります。

  1. 純情ACTION
  2. 黒い青春
    B’zのSHOWCASEにようこそ!
  3. パーフェクトライフ
  4. ONE ON ONE
  5. 一心不乱
  6. 君の中で踊りたい
  7. LADY-GO-ROUND
  8. FRIDAY MIDNIGHT BLUE
  9. それでも君には戻れない
  10. わるいゆめ
  11. HOMETOWN BOY’S MARCH
  12. 光芒
  13. トラベリンメンのテーマ
  14. Hi
  15. ROCK man
  16. Out Of Control
  17. FRICTION
  18. SUPER LOVE SONG
    -アンコール-
  19. 永遠の翼
  20. MOVE

 

なんとこの公演には5年ぶりにベーシストとしてバリーさんが参加してました!! この時から昨年までずっとB’z を支え続けてくれたんですよね。本当にバリーさん、ありがとう。そして「いつかまたここで」のように、またいつかB’zと同じステージに立っている姿を見れたら嬉しいです。

 

INABA / SALAS「CHUBBY GROOVE TOUR 2017」 初日 Zepp Nagoya

 

2017年1月25日(水)、INABA / SALAS「CHUBBY GROOVE TOUR 2017」の初日公演がZepp Nagoyaで開催されました。その時のセトリは以下になります。

  1. SAYONARA RIVER
  2. 苦悩の果てのそれも答えのひとつ
  3. ERROR MESSAGE
  4. NISHI-HIGASHI
  5. マイミライ
  6. シラセ
  7. ハズムセカイ
  8. 正面衝突
  9. Moonage Daydream(David Bowie カバー)
  10. MY HEART YOUR HEART
  11. WABISABI
  12. OVERDRIVE
  13. MARIE
  14. AISHI-AISARE
    -アンコール-
  15. BLINK
  16. Police on My Back(The Clash カバー)
  17. TROPHY

 

40thシングル「衝動」リリース

 

2006年1月25日(水)、記念すべき40枚目のシングルCD「衝動」が発売。B’zのCDが1月に発売されるのは、18年目にして実は初めてのことだったですよね。このあと2015年の1月に「有頂天」が発売されますが、本当に1月リリースが少ないですね。

また、B’zとしては漢字のみの表題曲はこの「衝動」が初めてでした。そんな初物だらけのCDだったんですね(^_^)

  1. 衝動 (3:17)
    演奏時間が3分14秒(演奏終了後、空白があるので表記上は3分17秒)と、B’zのシングル史上最も演奏時間が短い曲(ただし、「DIVE」のアルバムバージョンを除く)。メンバー曰く「大人なロック、無駄なことは極力しない」とコメントしている。
    PVは大さん橋ホールで撮影され、書道家の武田双雲が衝動の文字を書くという駄洒落になっている。
    15thアルバム『MONSTER』に「〜MONSTER MiX〜」として別バージョンが収録された他、オムニバスアルバム『世界最速J-POPトランス』にもトランス風にリミックスされた音源が収録された。
    音楽番組での披露は『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』と『ミュージックステーションスーパーライブ』のみである。

  2. 結晶 (4:06)
    楽曲自体は、メンバーがいつ制作したか覚えていないほどの昔のストックである(打ち込みドラムの使用や参加スタッフから、2001年〜2002年の楽曲と推測出来る)。メンバーは「冬の時期に発表したかった」とのこと。
    2nd beatかつストックでありながら、日本テレビ系土曜ドラマ『喰いタン』主題歌に起用された。同系列番組『歌笑HOTヒット10』で披露されたが、LIVE-GYMでは未演奏のため、前述の番組出演が唯一の演奏披露である。また、B’zが日本テレビ系列のドラマ主題歌を手掛けるのは「RING」以来、約5年4か月振りとなる。
引用:Wikipedia

 

【バーミリオンカード先行】B’z LIVE-GYM 2019

 

さて、いよいよ始まりました、「B’z LIVE-GYM 2019」のチケット抽選申込み。その第一弾がバーミリオン会員の先行抽選申込みになります。私は昨年、SS席を希望したら見事に玉砕。。。今年からは安全策をとってS席にします。

◯申込受付期間:1月25日(金)正午 ~ 1月28日(月)正午

◯申込対象者:2019年1月現在正規会員の方で、バーミリオンカード登録年月日が1月21日までの方

◯抽選結果発表:2月5日(火)正午

 

日本

 

日本最低気温の日 ※2019年1月25日現在

 

 

1902年1月25日、北海道旭川市で、日本の最低気温の公式記録「-41.0℃」を記録しました。実は1978(昭和53)年2月17日に、幌加内町母子里の北大演習林でこれより0.2℃低い「-41.2℃」を記録しましたが、気象庁の公式記録の対象から外れていたために旭川の記録が公式の日本最低気温となっています。

しかし世界は広い。南極のボストーク基地では、旭川の最低気温記録の倍以上も低い「-89.2℃」!!ロシア・東シベリアのサハ共和国にある市「オイミャコン」では、1933年2月6日に「-71.2℃(ただし、この測定法には議論があるため、正式な記録としては認められていません)」を記録しています。旭川の今の気温は-7℃で私にとってはかなり寒いですが、比べ物になりませんね。というより、そんな寒さの中で生活している人たちって本当に凄いと思います。

 

ホットケーキの日

 

 

日本最低気温の日に因み、寒い日にはホットケーキを食べて暖まってもらおうと森永製菓が制定しました。森永製菓といえばホットケーキミックス。そもそもは昭和30年代に発売を開始し、今や森永製菓のホットケーキミックスは国内ナンバーワンの売上なんです。最近ではパンケーキブームもあり、ホットケーキミックスを使ったいろいろな料理が紹介されています。

 

中華まんの日

 

 

「中華まんの日」なんて言うからてっきりどこかの中華料理屋やメーカーに由来するのかと思いきや全然違って驚きました。なんと一番最初に説明させていただいた旭川の日本最低気温の日に因み、寒い日には中華まんを食べて暖まってもらおうと制定されたそうです。上記のホットケーキの日と同じですね。いやいや、日本最低気温の日って人気過ぎでしょ(;^ω^)

「中華まん」ですが、中国の三国時代(220年頃)、あの有名な諸葛孔明が作らせたことで知られています。南方の蛮族を征伐するため川を渡ろうとした孔明ですが、川が氾濫して渡れませんでした。当時川の氾濫を静めるためには、人の頭を水神にささげる事によってその怒りをなだめることができると言われていました。しかし心優しい孔明は人を犠牲にすることができませんでした。そこで孔明は小麦粉を水で練って皮を作り、羊と豚の肉を包んで人の頭に模したまんじゅうを作りました。このまんじゅうを氾濫する川に投げ入れたところ、見事に川は静まりその後の戦いに勝つ事が出来たそうです。「まんじゅう」は漢字で書くと「饅頭」となります。たしかに「頭」という漢字が入っていますが、そういう意味だったんですね。

 

主婦休みの日

 

 

2009年、生活情報紙「リビング新聞」を発行するサンケイリビング新聞社が「日頃家事を主に担当している主婦がリフレッシュをする日」として1月25日を「主婦休みの日」として提唱しました。

日付に関しては読者アンケートにより「1月25日」・「5月25日」・「9月25日」の合計3日を「主婦休みの日」としました。具体的な目的として、以下の内容が掲げられています。

 

  1. 家事や育児に頑張る主婦がリフレッシュできる日。
  2. 家族が元気になってニッポンも元気になる日。
  3. 夫や子どもが家事にチャレンジする日&パパと子どもが一緒に行動する日。

 

主婦は本当に大変だと思います。年に3日くらいじゃ足りないくらいだというのが私の個人的見解です。ただせめてこの3日くらいは日頃の感謝を込めて、旦那さんと子供たちが頑張ってお母さんを楽にしてあげましょう♪

 

左遷の日

 

901(延喜元)年1月25日、右大臣・菅原道真(すがわら の みちざね)が醍醐天皇(だいごてんのう)によって九州の大宰府に左遷されました。

彼の才能を妬んでいた左大臣・藤原時平(ふじわら の ときひら)は、道真を失脚させようと策略し、「道真は国家の政治を私物化している」など、醍醐天皇に繰り返し悪口を言いました。天皇は次第に道真のことを悪い人間だと思いこむようになり、901年1月20日、菅原道真を太宰権帥に左遷、筑紫国に流罪とすることとしました。

道真は長年住み慣れた自宅の庭に植えられていた梅が咲いているのを見て東風吹かば匂ひ送来せよ梅の花 無しとて春を忘るなと詠み、この日、京都を旅立ちました。その梅は菅原邸から太宰府の庭まで飛んで行ってそこに根づいたという「太宰府の飛梅」の伝説があります。また、桜は、悲しみのあまりその場で枯れてしまい、松は追ってきたが途中力尽きその地で根をおろしたという言い伝えもあります。

菅原道真は無念の思いを抱きながら、そのわずか2年後の903(延喜3)年2月25日に亡くなりました。しかし道真の死後、京には異変が相次ぎます。まず道真を左遷するようにおとしいれた藤原時平が、延喜9年(909年)に39歳で病死。続いて延喜13年(913年)には、道真失脚の首謀者の一人とされる右大臣源光が狩りの最中に泥沼に沈んで溺死。更に醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王(時平の甥・延喜23年(923年)薨去)、次いでその息子で皇太孫となった慶頼王(時平の外孫・延長3年(925年)卒去)が次々に病死。

さらには延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、昌泰の変に関与したとされる大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御。

これらを道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行いました。子供たちも流罪を解かれ、京に呼び返されたそうです。これが本当に道真の祟りなのかどうかは分かりませんが、人をおとしいれるような事をすれば必ずその報いを受けるということでしょう。

 

初天神(はつてんじん)

 

毎月25日は天神さまの縁日とされており、一年で最初の縁日である1月25日は「初天神」と呼ばれています。

 

世界

 

バーンズ生誕日(バーンズナイト)

 

スコットランドの詩人ロバート・バーンズの誕生日が1759年1月25日。スコットランド地方ではこの日、バーンズの生誕を祝って作品を朗読し肉料理を食べます。彼が作詞したスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)」は、「蛍の光」の原曲となっているんです。知っていましたか?

日本でもバーンズナイトと言って、スコットランドが本場のスコッチ・ウイスキーを飲みながら、これまたスコットランドの名物料理「ハギス」などを食べてバーンズの誕生日を祝うお店もあります。亡くなって200年以上も経つのに、今なお多くの国民に祝ってもらえるなんて幸せな人ですね。

 

お詫びの日

 

1077年1月25日、ローマ教皇グレゴリウス7世に破門されたドイツ皇帝ハインリヒ4世(のちの神聖ローマ皇帝)が、グレゴリウス7世に「お詫び」をするため冬のアルプスを越え、カノッサ城まで行き謝罪しました。これが「カノッサの屈辱」と言い、この日を「お詫びの日」としています。

ハインリヒ4世はイタリアの支配を目指し、ミラノ大司教等を次々と任命しました。この勝手な行動に対し、ローマ教皇グレゴリウス7世は「司教の任命権が皇帝ではなく協会にあること」を通達したが、ハインリヒ4世は聞き入れなかった。グレゴリウス7世がハインリヒ4世の行為を激しく非難したのに対してハイリンヒ4世は激怒。直ちに諸侯を集めて教皇の廃位を宣言しました。これに対して教皇グレゴリウス7世も1076年2月に、皇帝の廃位と破門を宣言しました。

破門の知らせを聞いたドイツの諸侯たちは、次々とハイリンヒ4世に反旗を翻しました。これに困ったハイリンヒ4世は教皇グレゴリウス7世から破門を解いてもらう為に、グレゴリウス7世が滞在している北イタリア・カノッサ城を訪れました。しかし、グレゴリウスはなかなか会おうとせず、カノッサ城外で悔恨の心を示すことを要求しました。ハイリンヒ4世は1月25日から3日間、雪の中、裸足に粗末な修道衣だけの姿で城の前に立ち続け、ようやく教皇グレゴリウス7世の赦免を受けることができたそうです。

しかしここまでしたにも関わらず、赦免を受けた皇帝は巻き返しを謀り、教皇との対立は再び激化。この争いは以降約半世紀も続きました。

 

明日は何の日でしょうかねぇ~♪ それではまた明日お会いしましょう☆

 

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