2月21日にはどんな記念日があり、B’zにはどんなことがあったのかをまとめてみました。日本や世界、B’zには過去に色々なことがあり、記念日になっている日があります。今日という日にどんな意味があるのか、たまには歴史を振り返りその時代に思いをはせてみませんか?
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【今日は何の日】 2月21日は何の日? その時B’zは?
B’z
B’z LIVE-GYM ’91〜’92 “IN THE LIFE” 大阪厚生年金会館1日目
1992年2月21日(金)、 B’z LIVE-GYM ’91〜’92 “IN THE LIFE” ツアーの大阪厚生年金会館公演1日目が開催されました。以下がその時のセトリになります。ただし、この頃のセトリはハッキリしたものが分からないため、完全な物ではありません。その点、ご了承ください。また、2通りのセトリを掲載しておきます。
- Wonderful Opportunity
- Crazy Rendezvous
- 孤独のRunaway
- LADY NAVIGATION
- BE THERE
- GODFATHER(松本ソロ)
- TONIGHT (Is The Night)
- もう一度キスしたかった
- WILD LIFE
- GIMME YOUR LOVE~不屈のLOVE DRIVER~
- NEVER LET YOU GO
- ’88~Love Story or Wanna Go Home(松本ソロ)
- あいかわらずなボクら
- Easy Come, Easy Go!
- 『快楽の部屋』
- GO-GO-GIRLS
- BAD COMMUNICATION
- ALONE
-アンコール- - 憂いのGYPSY or Sweet Child O’Mine or Knockin’ On Heaven’s Door
- WILD LIFE
- Crazy Rendezvous
- 孤独のRunaway
- LADY NAVIGATION
- BE THERE
- GODFATHER(松本ソロ)
- TONIGHT (Is The Night)
- もう一度キスしたかった
- WILD LIFE
- GIMME YOUR LOVE~不屈のLOVE DRIVER~
- NEVER LET YOU GO
- ’88~Love Story or Wanna Go Home(松本ソロ)
- あいかわらずなボクら
- Easy Come, Easy Go!
- Wonderful Opportunity
- 『快楽の部屋』
- GO-GO-GIRLS
- BAD COMMUNICATION
- ALONE
-アンコール- - 憂いのGYPSY or Sweet Child O’Mine or Knockin’ On Heaven’s Door
B’z LIVE-GYM ’98 “SURVIVE” 大阪城ホール1日目
1998年2月21日(土)、B’z LIVE-GYM ’98 “SURVIVE”ツアーの大阪城ホール公演1日目が開催されました。以下がその時のセトリになります。
- DEEP KISS
- ZERO
- 裸足の女神
- love me, I love you
- MOTEL
- だったらあげちゃえよ
- CAT
- ハピネス
- 波 (稲葉ソロ)
- 松本アニメーション
- Real Thing Shakes
- ねがい
- SNOW
- いてもうたるで (松本ソロ)
- 泣いて泣いて泣きやんだら
- FIREBALL
- スイマーよ!!
- Do me
- Liar! Liar!
- SURVIVE
-アンコール- - LOVE PHANTOM
- Calling
B’z LIVE-GYM 2008 “ACTION” 山梨県立県民文化ホール
2008年2月21日(木)、B’z LIVE-GYM 2008 “ACTION”ツアーの山梨県立県民文化ホール公演が開催されました。以下がその時のセトリになります。
- 純情ACTION
- 黒い青春
- パーフェクトライフ
- ONE ON ONE
- 一心不乱
- 君の中で踊りたい
- LADY-GO-ROUND
- BE THERE
- SNOW
- Easy Come, Easy Go!
- わるいゆめ
- HOMETOWN BOY’S MARCH
- 光芒
- トラベリンメンのテーマ
- ZERO
- MOVE
- Out Of Control
- FRICTION -LAP 2-
- SUPER LOVE SONG
-アンコール- - 永遠の翼
- BANZAI
3rdシングル「LADY-GO-ROUND」 リリース
1990年2月21日(水)、B’zの3枚目となるシングル「LADY-GO-ROUND」がリリースされました。「LADY-GO-ROUND」については以下の記事の中で説明しています。ぜひ参考にしてください(^_^)
☆B’zディスコグラフィー:歴代シングル
3rdアルバム「BREAK THROUGH」 リリース
1990年2月21日(水)、B’zの3枚目となるアルバム「BREAK THROUGH」がリリースされました。私のお気に入りのアルバムの1つですが、それぞれの楽曲にまつわるエピソードがWikipediaにあったので、下に書いておきますね。
- LADY-GO-ROUND (4:21)
3rdシングル。メンバーは「ファンにも人気の出る曲になるのではないか」と思っていたが、実際はそうでもなかったらしい。後に2ndミニアルバム『WICKED BEAT』に全英詞リメイクバージョンが収録された。- B.U.M (1:25)
原曲は企画ライブ「B’z BAD CLUB GYM」で使用されていた曲。歌詞の「We’re B’z & Funky Crew」という部分はB’zの音楽制作集団「B+U+M」(B’z Unreal Music、94年に解散)のことを歌っている。全英詞ラップ調で1分25秒と短い曲。曲名の読み方は「ビー・ユー・エム」だが、「バム」と読んでもいいらしい。- BREAK THROUGH (4:25)
表題曲。2ndアルバム『OFF THE LOCK』の頃に製作された。稲葉曰く「転調が多いから歌いにくい」。- BOYS IN TOWN (4:39)
稲葉によると歌詞に出てくる街は渋谷のことであり、「僕がB’zを始める1年前の世界」をイメージした曲とコメントしている。- GUITARは泣いている (6:32)
タイトルはザ・ビートルズの「While My Guitar Gently Weeps」から。松本は「ずっとやってみたかったタイプの曲」とコメントしている。- LOVE & CHAIN (4:56)
3rdシングル「LADY-GO-ROUND」のカップリング曲。後に3rdミニアルバム『MARS』で全英詞ハードロックナンバーにリメイクされた。- となりでねむらせて (4:12)
歌詞は全て話し言葉で書かれ、元ネタは松本が考えた。- HEY BROTHER (3:55)
B’zでは異色のファンキーで跳ねたビートが前面に出ている曲。稲葉の歌い方も当時のヒップホップを意識したとコメントしている。歌詞にシボレー・コルベットが出てくる。- 今では…今なら…今も… (5:18)
後に『B’z The “Mixture”』でリメイクされた。松本が一曲を通してコーラスを担当したのはこの曲のみ。- SAVE ME!? (3:27)
最後に製作された曲。歌詞に「PURPLE HAZE」とあるように、ジミ・ヘンドリックスの「PURPLE HAZE」のリフを曲の一部で使っていると、松本がアルバムスコアにてコメントした。メンバー曰く、「HEY BROTHER」と今曲は「お遊びソング」。「B’z LIVE-GYM ’94 “The 9th Blues” Part2」でも披露され、ラップ部分を日本語詞に変更して演奏された。- STARDUST TRAIN (5:03)
イントロのキーボードは後に追加された。歌詞の内容は不倫を歌ったものとなっている。『Flash Back-B’z Early Special Titles-』ではイントロのキーボードが省略されたものが収録されている。
1990年の「B’z LIVE-GYM “BREAK THROUGH”」ツアーでは唯一演奏されなかったが、翌年の「B’z LIVE-GYM “Pleasure’91″」で初披露され、「B’z PARTY Presents B’z Pleasure in Hawaii」では約27年ぶりに演奏された。引用:Wikipedia
☆B’zディスコグラフィー:歴代アルバム
B’z LIVE-GYM 2019 B’z PARTY優先予約抽選発表!!
2019年2月21日、「B’z LIVE-GYM 2019」のB’z PARTY優先予約の抽選発表でした。私は残念ながら第1~第4希望の横アリ・幕張が全滅し、振替で宮城公演が当選。。。仕方なくホテルを手配しましたが、お盆なので東京から仙台の往復の交通費や滞在中の食費、現地の移動などを含めると総額7万円位はかかりそう。相方は北海道からなのでもっとかかります。
都内在住のファンを以下に振替とは言え仙台に振替しますかねぇ~。もうちょい考えてくださいよ。私はバーミリオン会員ですが、前回・今回もバーミリ枠は落選。FC申込も第1希望は当たった事ないです。
日本
日刊新聞創刊の日
1872年(明治5年)2月21日、現存する中では日本初の日刊新聞「東京日日新聞(読み:「とうきょうにちにちしんぶん」。現在の毎日新聞)」が創刊されました。正確に言うと日本初の日刊新聞は1870年(明治3年)の「横浜毎日新聞」なのですが、他社に吸収されているため、現存する中では「東京日日新聞」が最古とされています。
こういった背景もあるためか、毎日新聞は自紙のことを「東京で最初の日刊紙」と言っています。
漱石の日
1911年(明治44年)2月21日、文部省が作家・夏目漱石に文学博士の称号を贈ると伝えたのに対し、漱石は「自分には肩書きは必要ない」といった内容を書いた手紙を文部省専門学務局長の福原鐐二郎に送り辞退しました。
ただ単にカッコいいと思ってしまいましたが、ここには深い意味がありました。というのは、もし「博士」というものに大きな価値を与えてしまうと、「博士」だけがその分野の権威になってしまうということを危惧したそうです。「博士」という称号がなくても多くの人が文学や医学など、それぞれの分野で研究・活躍出来るべきだという考えだそうです。
言われてみれば確かにと思います。こういう広く平等な視点を持つ方が役人になってくれたらどんなに良いのだろうと思わずにはいられません。俗物ばかりの世の中、こういった方が活躍できる状況であれば日本ももっと良くなるんでしょうけどね。。。
食糧管理法公布記念日
1942年(昭和17年)2月21日、「食糧管理法」(食管法)が公布されました。
米や麦などの食糧の生産・流通を政府が管理し、国民の食糧の確保と国民経済を安定させるのが目的でした。1995年(平成7年)に廃止されましたが、代わって政府による管理を緩和した「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」(食糧法)が施行されました。
個人的にはこういう制度は疑問に感じます。もちろん安定のためには必要かもしれません。しかし2018年まで行われていた減反政策など、度が過ぎているのではないかと反発を感じます。国が保護することによって、他のビジネスの世界で起きているような価格競争などが起こらず、ある意味進歩も退化もしません。これは非常に危険なことだと個人的に思います。
私は競争をする事によって、技術は格段に進歩するものだと思っています。周りが進歩しているのに農業だけ進歩が遅れるのは、国際社会の中では致命的なのではないでしょうか?もちろん農業だって進歩しているのは分かりますが、国による保護がなければもっと速いスピードで進歩していたのではないかと思わざるを得ません。
世界
国際母語デー (International Mother Language Day)
国連教育科学文化機関(ユネスコ)が1999年11月に制定。文化や言語の多様性、それぞれの母語を尊重することを推進することを目的にしています。
1952年2月21日、当時パキスタンの一部だったバングラデシュのダッカで、ベンガル語を公用語として認めるように求めるデモ隊に警官隊が発砲し、4人の死者が出ました。バングラデシュは独立前は東パキスタンと呼ばれ、多くの人がベンガル語を話していました。しかし当時のパキスタン政府は西パキスタンにあり、その辺りではウルドゥー語が多く使われていました。そしてウルドゥー語を母国語にしようとする動きに気付いたバングラデシュの学生が集会を開き、抗議のデモを起こしました。そして悲劇が起こったのです。
ちなみにバングラデシュでは、独立運動の中の重要な事件の一つとしてこの日を「言語運動記念日」としていました。
ファザー・リニ・ディ(Father Lini Day) (バヌアツ)
太平洋の国・バヌアツの独立運動のリーダーで初代首相となった、英国国教会司祭・ウォルター・リニを記念する日。1999年のウォルター・リニの忌日に由来しています。
明日は何の日でしょうかねぇ~♪ それではまた明日お会いしましょう☆
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